『ファラオ・トトメス3世のこと』
古代エジプトにおいて、紀元前1550年頃から紀元前1292年頃までの約250年間続いた第18王朝は、軍事力・経済力・宗教・芸術が著しく発展した時代である。日本の歴史に例えるなら、江戸時代の元禄期のように、平和と安定の中で繁栄を謳歌した時代といえる。第18王朝のファラオたちは、近隣諸国への覇権を示すことで国内の秩序と安定を維持し、宗教・建築・芸術の革新を推進した。同様に、元禄文化では松尾芭蕉や井原西鶴、近松門左衛門、尾形光琳、市川團十郎らが庶民文化を牽引し、町人文化の黄金期を築き上げた。両者はいずれも先頭を切って走る時代の寵児と呼ばれる人々が先頭に立ち、歴史を変革することで繁栄を謳歌した点で共通しているように思える。
第18王朝歴代のファラオは、イアフメス1世、アメンホテプ1世、トトメス1世、トトメス2世、ハトシェプスト、トトメス3世、アメンホテプ2世、トトメス4世、アメンホテプ3世、アメンホテプ4世(アクエンアテン)、スメンカラ、ツタンカーメン(ツタンカーテン)、アイ、ホルエムへブと続き、第19王朝の偉大なるファラオ、ラムセス2世へとバトンが渡ることとなる。
こうしてファラオを列挙してみると、私たちがよく知る名前が数多く並んでいることが分かる。本稿では、その中でもトトメス3世に焦点を当ててみよう。
トトメス3世は古代エジプト第18王朝の6代ファラオで、紀元前1479年から紀元前1425年まで約54年間に統治したとされる。その治世の初期約22年間は、父トトメス2世の正妃であり義母にあたるハトシェプスト女王と共同統治の形をとったが、実際にはハトシェプストが政治的主導権を握っていた。ハトシェプストの死後、トトメス3世は単独で王権を行使し、軍事遠征や領土拡大を通じてエジプトの勢力図を大きく塗り替えた。
以下に、ナショナルジオグラフィックの記載にある軍事的功績をみて見よう。
「単独のファラオとして統治を始めてからわずか数カ月後、トトメス3世は2万の兵を率い、現在のイスラエル北部にあった都市メギド(ギリシャ名「アルマゲドン」のほうがおなじみかもしれない)に遠征する。敵の連合軍は、すでに郊外に集結していた。遠征には複数の書記官が従軍し、作戦の詳細を記録している。『トトメス年代記』と呼ばれるこの記録は非常に史料価値が高いことで知られる。トトメス3世は幕僚たちの助言には耳を貸さず、敵に奇襲攻撃を仕掛けた。あえて険しい山道を進み、メギドに直接攻撃を加えたのである。極めて危険な行軍中、自軍に神の加護があるという信念を見せるため、トトメス3世は先頭で馬を進めた。実際、全軍が無傷のまま峠を越えることに成功する。そして自ら「純金製二輪馬車に乗り、光り輝く鎧に身を固めて」戦いに加わり、敵の目をくらませ、恐怖に震え上がらせた。敵軍はすぐに戦いを放棄し、城壁の内側に撤退した。
単独統治を始めて間もなく、紀元前1457年に行われた「メギドの戦い」は彼の軍事的才能を示す代表的な遠征である。トトメス3世は約2万の兵を率いてイスラエル北部のメギドに進軍し、敵のカナン連合軍に対して奇襲を敢行した。幕僚の助言を退け、あえて危険な山間の中央ルートを選んだことで敵の意表を突き、戦局を有利に進めた。敗走した敵軍は城塞に籠城したが、エジプト軍は約7カ月にわたる包囲戦の末に降伏を勝ち取った。この戦術は彼の大胆さと戦略眼を示すものとして高く評価されている。
トトメス3世は7カ月にわたってメギドを包囲し、容赦なき兵糧攻めによって、市内にとどまっていた人々を降伏させた。トトメス3世はその後も軍事力を行使し、ヌビア、フェニキア人の港市、交易の要衝カデシュ、ミタンニ王国(現在のシリアからトルコまたがる地域を領有した国)などを征服した。17度に及ぶ遠征を通じ、彼はどのファラオよりも広大な領土を獲得し、最終的にはエジプト史上最大の版図を支配した」〔日経BPムック〕『ナショナルジオグラフィック別冊 古代の覇者 世界史を変えた25人』
この「メギドの戦い」(紀元前1457年)は彼の軍事的才能を示す代表的な遠征である。トトメス3世は約2万の兵を率いてイスラエル北部のメギドに進軍し、敵のカナン連合軍に対して奇襲を敢行した。幕僚の進言を退け、あえて危険な山間の中央ルートを選んだことで敵の意表を突き、戦局を有利に進めたのである。敗走した敵軍は城塞に籠城したが、エジプト軍は7カ月にわたる包囲戦の末に降伏を勝ち取った。この戦術は彼の大胆さと洞察力を示す資質の表れとして高く評価されている。
その後もトトメス3世はヌビア、フェニキアの港市、交易の要衝カデシュ、さらにはミタンニ王国にまで遠征を重ね、計17回以上の軍事行動を行った。結果として、彼はエジプト史上最大の版図を築き、アジア方面ではカナン地方からシリア、ユーフラテス川流域に至り、アフリカ方面では南方のヌビア(現在のスーダン)、そしてナイル川流域では第四急流付近まで支配を拡大した。
ナイル川には北から南にかけて複数の急流(カタラクト)が存在する。第一急流はエジプト南部アスワン付近、第二急流はスーダンのワディ・ハルファ付近、第三急流はスーダンのトンディ付近、第四急流はスーダン北部のカジャバ付近(メロエより北)、第五急流はスーダンのケルマとメロエの間、そして第六急流はスーダンの首都ハルツーム近郊に位置している。トトメス3世はこの第四急流付近まで支配を及ぼしたとされる。
トトメス3世は征服地との従属関係を築いた後、支配層の子弟を人質としてエジプトに送らせることで平和的安定化を図っている。この「人質政策」は後のアメンホテプやラムセス2世にも継承され、婚姻政策と合わせて外交戦術の一環として用いられた。
内政面では、長期にわたり政権を掌握したハトシェプスト女王の死後、その記録や像を破壊・削除する政策を行い、歴史からその存在を抹消しようとしたことが知られている。これは共同統治時代に長きにわたり政権を奪われていたことへの恨みの表れであると解釈されている。
さらにトトメス3世は軍事面だけではなく、外交や宗教政策にも大きな功績を残した。ミタンニ王国との外交関係の構築や、カルナック神殿群の拡張を推進し、アメン神信仰を強化することで政治の安定化を図っている。さらに神殿の彫刻や絵画に数多くの記録を残し、文化面でも重要な役割を果たしたファラオであった。
カルナック神殿の祝祭殿には、トトメス3世が軍事遠征で獲得した動植物や奉納品に関する碑文が残されている。中でも遠征用の大型船や神殿建築に不可欠であったレバノン杉は、フェニキア地方の都市国家をエジプトの影響下に置いたことによって安定的に供給されるようになった。エジプトは版図を拡大しつつ、トトメス3世の軍事的成功と外交的施策によって経済的繁栄を享受するとともに、国内の秩序と安定を図ることでさらなるに成長を遂げた。
最後に蛇足ながら筆者の考えを述べるなら、トトメス3世の治世初期に権力を掌握していたハトシェプスト女王の存在である。彼女の野心的な統治は、トトメス3世がファラオとしての能力を開花させるための礎を築いたことに疑いはない。確かに彼女がながきにわたり政権を握ったことでトトメス3世の単独統治は遅れることになった。しかし、その間に築かれた政治基盤の安定化こそが、後に彼の軍事的・外交的才能を発揮できる土台となったからである。
トトメス3世胸像/エジプト考古学博物館/カイロ/エジプト(筆者撮影画像)
トトメス3世像/エジプト考古学博物館/カイロ/エジプト(筆者撮影画像)
| 出典: | 「Wikipedia」 |
| 『ナショナルジオグラフィック別冊 古代の覇者 世界史を変えた25人』 | |
| 『ナショナルジオグラフィック別冊 エジプトの女王6人の支配者で知る新しい古代史』 | |
| 『ナショナルジオグラフィック別冊 古代エジプト 誕生・栄華・混沌の地図』 | |
| 『㈱日経ナショナルジオグラフィック 王座で新しい役割を果たした6人の物語』 | |
| 著者;近藤二郎『決定版 ゼロからわかる古代エジプト 電子版』 | |
| 著者;吉村作治『世界一面白い 古代エジプトの謎【ピラミッド/太陽の船】 | |
| 著者;吉村作治『世界一面白い 古代エジプトの謎【ツタンカーメン/クレオパトラ篇】 | |
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