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『庭仕事のご褒美』

 梅雨時は、朝起きて降り続く雨を見ると辟易してしまう一方で、とても喜ばしい一面もある。本日6月13日、今朝は梅雨空も一休み。青空は見えないが、ここ茨城の片田舎、庭でコーヒーブレイクには丁度よい季節だ。風はすこし湿気を含んでいるが、それでもひんやりとして半袖のTシャツでも心地よい。はて、その喜ばしい一面とはいったい何か?
 庭に植えた、色々なベリー類が熟す時期と重なるからである。梅雨時は草や木が驚くほど成長する。中でも、我が家ではジューンベリー、ラズベリー、マルベリー、ブラックベリーがまさにその収穫時期を迎える。
(我が家のジューンベリー、毎年、鳥との争奪戦になる。)
(ジューンベリーは、生食、ジャムどちらでも。)
 庭仕事はそれなりに大変ではあるが、その楽しみの一つがこの果実の収穫である。
 マルベリーで思い出すのは、ドイツ人で小説家,詩人でもあるヘルマン・ヘッセである。彼は故郷のドイツからスイスに移住し、最後はモンターニャ村で創作活動と庭仕事しながら生涯を閉じた。そのヘッセの生涯は、決して穏やかなものではなかった。
 ヘッセは1877年7月2日、ドイツ帝国時代シュトゥットガルト西方約35㎞にある小さな町カルフに生まれた。彼は20歳後半にはすでに、「郷愁」、「車輪の下」を発表して作家としての地位を築いていた。1904年には、マリア・ベルニリというドイツ人女性と結婚し、二人の間には3人の子供が生まれた。しかし、1914年ヘッセが発表した「おお、友よ、その調子ではいけない」と題したエッセイが、反戦的だととらえられ国内で非国民扱いされた。そのために彼の作品は一部で出版禁止となり、この時期さらに妻マリアの精神疾患による家庭の問題、父の死などの精神的負担などで自殺をはかり、彼自身も心理療法を受けることになった。そのために、妻や子を残し、単身で1916年ドイツからスイスのルツェルン近郊のサナトリウム(精神科の療養所)に入院し、心理療法を受けた。その心理療法は、ヘッセの創作活動に大きく影響し、「デミアン」、「シッダールタ」などの名作を生み、水彩画を始めるきっかけともなっている。さらにこの心理療法を受けたことをきっかけにして、1919年同国モンターニャ村に移住を決意し移り住んだ。そこではカーザ・カムッツィという城館のような家の間借り人であった。その後1931年にカーザ・ロッサと呼ばれる、チューリッヒの富豪でヘッセの支援者であるボードマーから提供された家に移り住んだ。恐らくここでは創作活動や水彩画を描き、また庭仕事を楽しみ「庭仕事の愉しみ」というエッセイも書いている。その中にヘッセを訪ねてきた友人?に、自ら庭のマルベリーを摘み、供応する場面があったと記憶している。創作活動を行う中、庭仕事で精神の疲れを癒すことで、ふたたび創造意欲を生み出す源泉となっていたのかも知れない。
 マルベリーは日本では「桑の実」と呼ばれるが、東ヨーロッパ辺りでは公園などに普通に桑の木が植えてあり、初夏になると枝にたわわに実をつける。その実を市民たちが摘んで食べている光景を何度も見かけた。ブルガリアの首都ソフィアで早起きして散歩をしていたとき、街の公園で壮年の男性が木の枝を引き下ろして何かをむしゃむしゃ食べていた。声をかけるとこっちに来てお前も一緒に食べろという。そこで近づくとまさに桑の木から実を摘んで食べていた。しかもその桑の実は白かった。ホワイト・マルベリーであった。私も一緒に摘んで食べたが、何とその実の甘かったこと。とても美味しいので、私も枝を引きつけて実を沢山食べた記憶がある。ブルガリアの早起き散歩は、まさに三文の徳であった。
 今は、日本でもトルコ産の乾燥したホワイト・マルベリーはアンチ・エイジング効果があるとして人気があるようだ。いわゆるスーパー・フード扱いされている食品の一つでもある。
 このエッセイを書きながら、ヘッセの「庭仕事の愉しみ」という本を探したら、本棚に見当たらない。そこでAMAZONに注文した。2~3日後には届くだろう。着いたら早速以前の記憶を辿りながら、マルベリーのことが書かれている箇所を探してみることにした。
(6月13日、我が家で収穫したマルベリー(桑の実)。甘くて美味しい。)
 ヘルマン・ヘッセは1962年8月9日に85歳でその生涯を終えた。彼は生涯に3度結婚をしている。最後の結婚は1931年で、妻となったニノン・ドルビン夫人が彼の死を看取った。ヘッセは生前彼の作品が反戦的だという理由で、ナチス政権下批判を受けて非国民扱いされた。しかし、戦後1946年ノーベル文学賞、ゲーテ賞を受賞するなどして、ドイツ国内でも再評価され、翌年、故郷カルフの名誉市民となって故国にその名誉を回復したのである。彼の生涯の光陰において、心の救いとなっていたのは水彩画を描くことや庭仕事がその光の部分にあたるのであろう。自分が植えた桑の木から、その実を摘み取ってテーブルで味わう時、穏やかで確かな命の時間を感じ取っていたに違いない。
 今朝はマルベリーの他に、畑の縁に植えた黄色と赤のラズベリーも収穫した。今年は実つきが良く、もう何度か収穫した。ラズベリーは香りがよく、少し酸味はあるがさわやかな香りをまとう果実である。今朝は積み立てのマルベリーとラズベリーが、庭仕事のご褒美としてテーブルを飾った。
(「黄色」と「赤」の果実の組み合わせも中々美しいものだ。)
(マルベリーとラズベリー、庭仕事の汗から得たご褒美、「果実の宝石」。)